夢の跡地


暖かな陽光が降り注ぎ、
水面は静かな表情をくずさない。

柔らかなな静寂に包まれたこの場所は、
ついさっきまでの戦いが、まるで夢であったかのように。

とても、とても穏やかだ。

ゼルガディスは独り廃虚の先に立ち、
木漏れ日を反射する水面を眺めていた。


混沌から生還した二人は枕を並べて熟睡している。
戻ってきてすぐにお馴染みの夫婦漫才を展開した2人ではあったが
やはり疲労は相当なものがあったのだろう。
結局廃虚と化したサイラ−グの片隅で骨休めをしてから出発という事になった。

あの時。
とても信じられなかった。
少女が呼吸を止めた時。

名を呼びながら、何故か少女の笑顔だけを思っていた。
いつだってこいつはころころと表情を変え、
そうして最後に笑うんだ。
こんな最後なはずが無いと。
冷えきった体を抱え、もう一度少女が笑うのを馬鹿みたいに待った。
笑わない彼女を認める前に、体が動きだしていた。
認める事ができなかった。とても、信じられなかった。

振り返ると眠る二人に毛布をかけてやっていたアメリアがこちらに気付く。
満面の笑顔で手を振る彼女に笑みを返す。

結局自分には何もできなかった。
しかしそれで十分だと感じている。
あの夜、守りたいと思った物は、欠ける事なく傍らにある。
よく笑う少女も、風のような二人も。
それで十分だと感じている。

全てがとても暖かく感じた。
だからつい気が緩んだのかもしれない。

一歩踏み出し水面を覗き込んで息を飲む。
そこに映るのは異形の姿。
なぜだか、そこに人間が映ると思ってしまっていた。当然のように。
全てがとても暖かく感じていた。
それは遠い記憶の中の、人間だったころの暖かさ。
だからつい気が緩んだんだ。
自らの業を忘れるほどに。

俺は水面に小石を放り込む。
小石は波紋を生み、異形をかき消した。



「隣よろしいですか?」
ふと声がかけられる。
「・・・・シルフィール。」
サイラ−グの巫女は微笑んで、
そっと傍らに腰を降ろす。

かつてこの街を魔の手から救おうと戦った二人。
赤法師の狂気の代償を肩代わりするはめになったこの不運な街は、
再び廃虚と化した身をさらしている。

「綺麗ですね。」
シルフィールの顔に浮かぶのは影の無い笑み。
今回一番辛い思いをしたのは彼女かもしれない。
残酷な形での肉親との再開。
愛した街を、人を、思いを踏みにじるようなフィブリゾの凶行。
しかし傍らで笑みを浮かべる彼女は恨みや怒りを感じさせない。
訝しみながらも腰を降ろし彼女の表情を伺う。

「お父様を最後に見たのは、あの時だったんです。」
コピーレゾに狂わされ、ウィゼアと共に立ちふさがった男は、
血走った目で実の娘に刃を向けた。
森へと逃げる最中、蒼白なままで涙をこらえていた彼女が頭をよぎる。
「だから、たとえ死人だとしても、最後に笑顔が見れて、
 抱きしめてもらえて・・・」

「幸せだったんです。きっと。」

「そうか・・・。」
彼女が何故笑うのか、笑わなければいけないのか。
朧げながら自分にはわかる気がする。
しかし口をつくのは愛想の無い相づちだけ。
「ふふ、誰かに話を聞いていただきたかったんです。
 すいませんでした。」
すいませんか・・。
確かにただ話したい時ってのは自分のように、
ただ聞くだけって相手がいいんだろうな。
苦笑を返して視線を戻し、しばし目の前の景色を見遣る。

それにしても・・・最初に会った時。
レゾに近づく手段として目をつけた彼女の部屋で、
大きな力の奔流に怯え肩を震わせていた事を思い出す。

「あんたは、強くなったな・・・」
自然ともらした言葉に、シルフィールは再び笑みを返す。
「無くてもいい強さだとは思いますけどね。」
しかし、浮かぶのは寂し気な笑み。
「何かを失って得る強さなんて。」

立ち上がったシルフィールは振り返って言う。
「ゼルガディスさんは無くさないで下さいね。」





彼は照れたような、困ったような表情を浮かべる。

最初に会った時。
レゾの影を恐れるばかりだった私の部屋で、
戦えと言った。
守りたい物があるならば戦えと。

冷たい目をして闇を纏った男。
氷のような目と凍えるような声音でレゾの暗殺を持ちかけてきた。

笑みを浮かべる事など想像もさせる事の無かった男が、
今は穏やかな表情でいる。

その理由が私にはわかります。
たった1人で立っていた男の横で
クルクルと表情を変える小さな存在が。
あなたにこんな表情をさせるのでしょう?

無くさないで下さいね。あなたは。





シルフィールの視線の先に目をやると、
頬をパンパンにはらせたアメリアがこっちを睨んでいた。

シルフィールと顔を見合わせ吹き出して笑う。

手招きをすると転がるように走りよってきた。
入れ代わりに去ったシルフィールに会釈した後傍らに腰を降ろす。
膨れっ面はそのままに。

「何を怒ってるんだ?」
「別に!怒ってなんかいませんよ!」
ぷいと顔をそらす。
「なんだか知らんが機嫌をなおせ。」
くしゃくしゃと頭を撫でてやると、
ぶんと頭を振って手を振り払う。
「怒って無いですってば。」
今度は満面の笑顔で。

ほらな。
いつだってこいつはころころと表情を変え、
そうして最後に笑うんだ。

2度と見れないと思った笑顔は。
やはりとても暖かく。

俺は本当に久しぶりに、
声をあげて笑った。


暖かな陽光が降り注ぎ、
水面は静かな表情をくずさない。
廃虚さえ光に包まれたそこは
ついさっきまでの戦いがまるで夢であったかのように
とても、とても穏やかだ。

二人の笑い声は、軽やかに風に乗り、
夢の跡地に響き渡っていった。






next
back
back to top