アメリアが目を覚まし、
まどろみの中で最初に目にしたのは
ランプの明かりに照らしだされた、薄暗い部屋の木目の天井。
額に乗せられた冷たい感触に触れると、よく冷えたタオルがかけられていた。

ゆっくりと首をねじり、周囲の状況を確認する。
そこは簡素な造りの部屋の中。
漆喰で出来た壁にはところどころヒビが入り、
ガラス窓が風を浴びがたがたと鳴っている。

アメリアが寝かされているベッドの横には椅子が一つ。
そのむこうにはソファとテーブルが一対置いてある。
自分の記憶の中にはない部屋・・・
何故こんなところにいるのか。
思い出そうとするがどうにも頭が重い。
夢とうつつのあいだを惑い、暖かな毛布に包まれて。
心地よい眠気に誘われアメリアが再び目を閉じようとした時。

薄暗かった部屋にひとすじ光が差し込み、ドアを開いて男が入ってきた。
「目が覚めたか。」
言いながら手に持った洗面器をベッドの傍らに置く。
「あ・・・」
男を見た刹那、記憶が蘇ってくる。
銃声と、血の臭い。
そして肩の痛み。
「いつっ・・・」
思わず起こしかけた身体に痛みが走る。

「無理するな・・・まだ傷は塞がっちゃいない。」
言いながら近づいた男がかざす掌が柔らかい光を放つ。
もう一度ベッドに横たえた身体にじわりと暖かさが広がった。
肩の痛みがひいていく。

「魔法、使えるんですね・・・」
呟きながら男に目をやる。
逆光になっていて顔がよく見えない。

それでも目に入るのはランプの光をはじき、
銀から赤、山吹、黒、そしてまた銀。
とりどりに色をかえ、美しく揺れる髪。

「綺麗・・・」
声が唇からこぼれると共に、
ゆっくりと睡魔が身体にしみ込んでくる。
その呟きを最後に、アメリアは再び眠りに落ちていった。

とても、

暖かい眠り。




Le pepit chaperon rouge qui dort





どれくらいの時間がたったか・・・


アメリアは唐突に跳ね起きた。
そのあまりの勢いに、
傍らで珈琲を片手に新聞を読んでいた男がびくりと震える。

アメリアはそれに気付くことなく大きく伸びをして、
くるくると首をまわし辺りの状況を見て取る。
と、横の椅子に座ったまま呆然と固まっている男。
「あ・・・お、おはようございます。」
さすがに罰が悪い。
慌てて若干間の抜けた挨拶をおくる。
硬直を解いて軽く頷いた男は濃紺のスーツと、目深にかぶった同色の帽子。
意識を失う直前に見た光景が一気に蘇った。

「あの・・ありがとうございました・・・助けていただいて。」
にこやかな笑顔を向け謝意を示す。
「・・・ああ。傷は、まだ痛むか?」
鷹揚に言葉を返され肩に手をやる。
痛みはすっかり消えていた。
「いえ。もう平気みたいです。」
記憶の中にあるのは硝煙と、血の臭いを色濃く感じさせた男。
しかし今目の前にいる男は飄然として殺気などかけらも見せない。
受ける印象のあまりの隔たりに戸惑い、
答えを返しながらそっと男の表情を伺う。

「ならいい。こんな場所で悪いが、ゆっくり休むといい。」
しかしその視線を嫌うように、
言いながら男は席を立ち背を向ける。
「とと・・。待って下さい。」
慌ててスーツの端を掴んで引き止めた。
聞きたいことは山ほどあるのだ。
「あの、あなたは・・?あ、私はアメリアっていいます。こう見えても・・」
「もう聞いたよ。ICPOの刑事さん。」
「あ、そういえば。」
男に苦笑と共に返され軽く舌を出す。
スーツを固く握りしめられ、諦めたように男が座りなおす。

「で、あなたは?」
にこやかに問うと、
少しだけ、
その瞳に剣呑な光をたたえ男が名乗る。

「ゼルガディス、だ。」
「ゼ・ル・ガ・ディ・ス・・・」
一文字ずつ丹念に追っていく。
男は 拍子抜けしたようにそれを見遣り、
「憶えにくい名だからな。」
言いながらそっと表情を緩めた。

それに気付くことなく、アメリアは男に笑みを向ける。
「大丈夫ですよ!名前覚えるのは得意ですから!
 ゼルガ・・・ディ・・・スさん?」
「まあ、一応あっちゃいるがな。」
たどたどしく諳んじる様子に男も苦笑をもらす。
「で・・・。」
言いながら正面に男の顔を捉えアメリアが続ける。

「ゼルガディスさん、あなた一体何者なんです?」
最も知りたい質問だ。
しかし、その問いに、男は困ったように帽子に手をやり答える。
「こっちにも色々事情があってね。
 ま、これ以上は聞いてくれるな・・・。」
アメリアがかすかに眉を寄せる。
「わかりました・・・。」
身分を明かせない事情・・。
宰相まで悪人と結託しているとなればこの国の警察も容易には動けないだろう。
ゼルガディスがこの国の警察であってくれれば一番いいのだが。
昨日のやり口は、それにしては過激すぎた。
どちらにせよ、これ以上聞いても無駄だろう。
この男が容易に口を割るとは思えない。
ふっと息を吐いてアメリアは話題をかえる。
「私、どれくらい寝てました?」
「ちょうど・・・1日ってとこか」
「そんなに!?」
おはようと言ったものの、窓の外には星。
室内もランプの光が踊るのみで薄暗い。

昨日の記憶。
自分が意識を失う直前の願いを思い出す。
「・・・あ、あの、シャルルさんは・・・。」
恐る恐る問いかけ、
「ああ、心配するな。」
軽い口調の男の言葉にホッと息をつく。
「ちゃんと埋めておいたよ。」
しかし続いた言葉は洒落にもならない。
まともに引きつったアメリアに、悪戯っぽい笑顔を向け新聞を投げてよこす。
一面に『シャルル逮捕』の文字。
「わ、悪い冗談やめて下さい。」
笑いをかみ殺しながらすまんなと誤る男は、
やはり昨日の面影を微塵も感じさせない。
自分を射ぬいたあの瞳も、目深に引き降ろされた帽子のせいで伺うことはできない。

この男が一体何者か・・興味は尽きないが。
シャルルの逮捕から一日が経過しているというなら、
ここで悠長に構えているわけにはいかない。

宰相に匿われているというパイカルが、
いつ逃亡をはかるかわからない。
今逃がしてしまっては大きな禍根を残すことになる。

その事実が身体をつき動かした。
しかし立ち上がろうとして、愕然とする。
四肢に力が入らない。立とうとして初めて気付いた、身体に満ちたけだるい感覚。
ベッドから転げ落ちそうになったアメリアをゼルガディスが慌てて支える。
「まだ寝ていろ。」
「でも・・・」
なお立ち上がろうとするアメリアの肩を押さえゆっくり続ける。
「いいか、あんたにかけた回復呪文ってのは傷の治癒の代わりに体力を奪う。
 もうしばらくは、おとなしくしていることだ。」
「でも、いかないと・・・」
「どこへ?」
「仕事に戻ります。
 パイカルを、捕らえないと。」
「戻ってどうなると言うんだ。」
食い下がるアメリアにあきれたような口調で問いかける。
「相手は宰相だ。ICPOじゃ、手出しできんだろう。」

投げられた言葉に思わず唇をかむ。
確かに、相手が一国の宰相ともなれば強制捜査に踏み切るのは難しいだろう。
加えてこの国の公爵は幼齢。実権は殆ど宰相の手に握られている。
一歩間違えれば国際問題になりかねない・・・。
上層部が二の足を踏むのは目に見えている。
その間にパイカルは悠々と姿を消すだろう。

頭をたれたアメリアをそっとベッドに押し戻し男が続ける。
「一日もすれば動けるようになるはずだ。
 今は休め・・・。」
「・・すいません。」
自然、詫びの言葉が口をつく。
確かに、
悔しいが動くことすらままならないこの状況で焦ってもしかたがない。
シャルルが捕縛された以上、自分の持っている情報に価値はない。
今本部に戻ったところで待っているのはただ焦れるばかりの折衝だろう。
国際間の交渉に一捜査員の出る幕など当然ない。
何より歯がゆいのは、今自分にできることが残されていないこと。
その歯がゆさに耐えるように、アメリアは握りしめた拳を見つめていた。

大人しくなったアメリアを一瞥して男が部屋を出ていく。
途端に静寂に包まれた部屋の中で、窓を叩く風の音だけが耳障りに響いた。
アメリアはゆっくりと目を閉じて状況を反芻する。

状況は自分にとって厳しいものであると言っていい。
パイカルが宰相に匿われている以上、ICPOは動けないだろう。
これまでこの国がとってきた対抗を鑑みれば、
遠からず自分達に撤退命令が出る目算は高い。

しかし、それでも・・・諦めて大人しくしているわけには行かない。
ここで取り逃がせば必ず誰かが麻薬で泣くことになる。

・・・可能性がないわけではない。
パイカルは遠からず国外への逃亡をはかるだろう。
シャルルの漏らした言葉どおり、ルパンに狙われているというのなら、だ。
彼に狙われて無事だった者は一人としていない。
それが悪人ならなおさら。

自分としてはそこに賭けるしかない。
すなわちパイカルがルパンを恐れICPOの退去を待たず行動に出る事。
宰相に匿われているといっても、
いったんその庇護の下から出てしまえば機会はある。
男が言った通り自分が1日で動けるようになれば間に合う可能性はある。

ずいぶん分の悪い賭けだが、今のところそれ以上の手は浮かばない。
それでも、なにもないと思うよりはずいぶんとましだ。

目を開けて、拳を握りしめる。
決意を込めて、強く。

ふいにその拳に影が落ちる。
顔をあげた先に、いつの間にか隣に立っていった男が差し出す白いマグカップ。
「・・・ありがとうございます。」
両手で受け取ると、その手に暖かさが広がった。
「ちょっとは落ち着いた様だな。」
「すいません。ちょっと焦ってました。」
珍しく自重気味にアメリアが微笑む。
突発的に動くのは自分の悪い癖だ。
「でも、動けるようになったら行かせて下さい。」
すいと顔をあげて言葉を紡ぐ。
「表立っては動けないかも知れないですけど・・。
 パイカルが逃げる時を狙えば、チャンスがないわけじゃないですから。」

「・・・また無茶する気か?懲りないお嬢さんだ。」
男が発したのは呆れとも苦笑ともつかない声音だったが
その口元は楽しそうに上げられていた。
そのままの口調で続ける。
「今、仲間が裏をとってるところだ。
 内通者も忍ばせてある。」
一瞬何の事かわからず首をかしげる。
「パイカルの事さ・・。
 明日には動くことになるだろう。」
大きな目をいっぱいに見開いて言葉を待つ
「あんたは、当然置いていくつもりだったんだが・・。」
「行きます!連れて行って下さい!」
間髪入れず言葉を返す。
再びベッドからずり落ちそうになるほど身を乗り出したアメリアを男が制す。
「ただし、また無茶するのは遠慮してくれよ?お嬢ちゃん。」
「う・・・了解しました!」
今度こそ、しっかりとベッドに腰を落ち着け笑顔を返す。

ようやく人心地がついたような気がして
渡されたホットミルクに口をつけると自然に言葉が漏れた。
「あったか・・。」
身体に広がる暖かさと共に、
今更の様に男の気づかいが身に染みる。
「色々ありがとうございます。
 ・・・でも、何でこんなに親切にしてくれるんです?」
シャルルの店で助けてもらって以来、返しきれないほど世話になっている。
肩の傷にしても男の治療によらなければ動けない時間は1日どころではなかっただろう。
そして今また、パイカルの情報まで与えてくれた。
しかし問うた言葉に男は、どうやら彼の癖らしく、帽子に手をやって首をかしげた。
「・・・さあ・・・?」
言いながらどうやら本気で悩んでいる様だ。
暫し沈黙した後続けた言葉。
「その・・俺は・・そんなに親切にしていたか・・・?」
その言葉を本当に心外だと言う調子で言う男に、
つい吹き出して笑ってしまった。
「ええ。とっても。」
居心地悪そうに腕をくむ男。
結局・・この男が何者であれ、
信じても差し支えない気がした。

「ま、どちらにしろ、それまではゆっくり寝てろ。」
笑顔で見つめたままのアメリアに照れたように男が背を向ける。
「あ、待って下さい・・・」
呼び止めてから、続く言葉が見つからず口籠る。
「え、と・・・」
「なんだかこんなによく眠れたの久しぶりで、目が冴えちゃってるんです。」
確かにけだるくはあるが、それでも今すぐには眠れそうにない。
「できれば話し相手になってくれません?」
それに本音を言えば、この男をもう少し知ってみたいと思う。

「もしよかったら、ですけど。」
背を向けた男が振り返り、隣の椅子に腰掛けた。
無言の肯定を受け、アメリアは嬉しそうに口を開いた。


父の話や仕事の話、美しかった頃のこの国の話。
とりどりに変わる話題の中。
いつしか置かれている状況を忘れ、
アメリアは、心を許してしまっている自分に気付いていた。
当然持つべき警戒心も、傍らにいる男と言葉を交わすうち消えていく。
胸に湧くある感情をなんと呼ぶのかわからず、話をする事でまぎれさせた。

止めどなく続くアメリアの他愛無い話を、
ゼルガディスは隣の椅子に腰掛けたまま、
時に珈琲を口にしながら、時に煙草をくゆらせながら聞く。
実際彼は殆ど喋らず、アメリアの紡ぐ言葉に相づちを返すぐらいがせいぜいだった。
しかしそこに流れる穏やかな時間は、彼にとっても心地いいものだった。

「そういえば、回復魔法使えるなんて凄いですね。」
話の中でふと口をついた言葉。
存在は知られているが実際の使い手は殆どいない。
しかも銃傷を治せるほどの使い手となれば世界でも数えるほどだと聞いていた。
向ける敬意をしかし男は軽く受け流す。 
「原理さえわかれば、程度の差こそあるが発動させるのはそれほど難しいことじゃない。」
言葉に首をかしげる。
確かに魔法の中には、
例えばライティングやアクア・クリエイトの様に今だ普及しているものもある。
それらは呪文さえ覚えれば誰にでも使える類いの物だ。
回復呪文がその範疇ならばもっと普及していてもよさそうなものだが・・・。
アメリアの疑問をゼルガディスが見て取って言葉を続ける。
「程度の差があると言ったろ。
 大抵の奴は発動できても擦り傷を直すくらいがせいぜいだ。」
なるほどと頷いて、しかし次の言葉は予想外。
「それでよければあんたにも使えるんじゃないか。」
「え・・・お、教えてくれるんですか!?」
「どうやらあんたは無茶するのが常のようだからな。
 知っといて損はないだろう。」
からかうように続けた言葉もアメリアは意に解さない。

望外の申し出に顔をほころばせる。
「魔法は、一つでも使えるか?」
「ライティングくらいなら。」
「要領はそれと同じだ。」
男が素っ気無く言って詠唱を始める。

柔らかく韻を踏み、まるで歌の様に
低く紡がれる詠唱を一言ずつ追っていく。
この世界にはもう残っていない言葉だが、
不思議と優しい響きのあるその旋律は心地よい。

詠唱を終えると、自らの手が鈍い光を放つ。
発動したのだ。

目を輝かせて顔を男に向け、息をのんだ。

アメリアは初めて男の顔を明るみの中で見ることが出来た。
今までは、目深にかぶられた帽子に隠れ、あるいは闇に溶けていた男の顔。

リカバリイの光りで照らし出されたそれは、人ではあり得ない異形の容姿だった。
その肌の色、尖った耳。そして目の周囲や顎には岩のようなものが貼り付いている。
しかし窺えたのは数瞬。
視線に気付いた男が帽子を深くかぶり直し顔を逸らす。
「すまん・・。怖がらせるつもりはなかったんだが。」
怖がってなどいない。
この部屋で、自分が男から与えられたのはむしろ。

掌に宿った光が消え、再び部屋が薄暗くなる。
「ゼルガディスさん・・・。」
隠そうとした男の瞳をしっかりと捉える。
最初に見た時と同じ。
瞳の奥で揺れるものに。
あらがいようもなく手をのばしていた。
両の掌で男の顔をやさしく捕らえ。
唇からなにか、熱を伴って言葉がこぼれそうになる。
しかし、それは音になる前に溶けて消え、かわりに心音だけが耳に届く。
結局アメリアは何も口にする事ができず、
ゼルガディスもまた、その視線を振り切れず
沈黙を守り、ただ見つめあっていた。



「たっだいま〜!!」
数瞬の沈黙を破ったのは、明るい声と響くドア。
轟音をたて入ってきた、燃えるような赤い髪の女性が、
目にした光景に硬直する。

「・・・。」
しばし、非常に気まずい沈黙が流れ・・・。
「ど〜した〜。リナ〜なんかあったのか・・・。」
続けて入ってきた金髪の男も同様に固まった。
目に入ったのはゼルガディスと、その頬を捉えたまま固まる妙齢の女性。
「あ、あは・・あはは。お邪魔だったみたい。」
リナと呼ばれた女性がゆっくりと踵を返し。
「ガ、ガウリィ・・・御飯でも食べに行きましょっか・・。」
「お、おい・・リナ?」
ガウリィと呼ばれた男の腕をとって、ぎこちない動きのまま出ていった。

残された部屋の中で、呆然としていたアメリアがのろのろと手を離す。
「あ、あの・・」
なんと言っていいかわからず、目の前の男に呼び掛ける。
「え?あ、ああ・・。」
男ははっとしたように顔を扉に向けた。
「・・・あいつらが、仲間だ・・・」
脂汗をたらしながら、何故だか苦々しく呟いて男が戸口に向かう。




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