この街の風は冷たい。
どんなに人が溢れようと熱気とは程遠く、
焦燥を顔面に張り付かせた人々を
毒々しく光るネオンが照らし出している。

ここはライツブルグ公国。
ヨーロッパの北部に位置する
人口3000万ほどの小さな国だ。
5年前の政変以降、
建て前だけの法治国家と成り果てたこの国は
厳しい冬を迎えている。

「見る影も無いって感じですね・・・。」
呟きながら歩いているのは、異様な風体の少女。
肩あたりですっぱりと切りそろえられた黒髪と意志の強そうな瞳。
顔だけ見れば文句のつけようのない美人である。

だが異様といったのはその服装。
濃い茶系のスーツにトレンチコート。
頭には若干サイズのあっていない、これまた茶色の帽子がのっかっている。
中年男性が着るならまだしも・・といった風情だ。

その少女の名はアメリア・ウィル・テスラ・セイルーン。
ICPOにその人ありと言われたフィリオネル警視正の娘であり、
配属以降、血統以上に積み上げた実績で各方面に名を知らしめつつある気鋭の警部である。

「あんなに綺麗な街だったのに。これじゃ正義の名が泣きます。」
没落を象徴するかのような夜の通り。
この事態を黙認してきた事に臍をかむ。
政変前に訪れた時、彼女の歩く通りは花に彩られた、
ヨーロッパでも有数の美しい通りだった。
今では人影もまばら。
沿道には花のかわりにゴミが舞い、
洒落た雑貨屋のかわりに如何わしい店が軒を連ねている。

その中にペローという店がある。
この国の病根、麻薬の密売を行うクラブの一つだ。
彼女はためらい無くそのドアを開き、
喧騒に満ちたフロアに消えて行った。


une recountre


今回任された任務、
この国を牛耳る麻薬組織の王、パイカルの逮捕。

長年この国の癌としてICPOが追い続けてきた大物だが、
パイカルは政財界にも根をはり政治レベルでの圧力によって
ICPOの介入を最小限にとどめていた。

手をこまねいて見ていたわけでは無いが、ICPOはその組織の特性上、
そういった圧力に対しては脆い部分がある。
国家の主権に対して国際警察の立場はいつも微妙だ。
結局麻薬の他国流出への厳しい対応。
その一手しか打てずにここまできた。
その結果、国政は乱れきり、風光明美な観光国は、
麻薬に溺れた火薬庫へとその姿を変えていった。

しかし3日前、唐突に組織が壊滅したという情報が舞い込んだ。
ヨーロッパトップクラスの大所帯だったこの組織が壊滅したというのもにわかには信じ難い話だ。
匿名のタレコミを受けたICPOは色めき立って調査に乗り出した。
明らかになったのは国内に点在していた麻薬精製工場の焼失。
大半の幹部の死亡。
しかしその中にパイカルの名はない。
何故磐石に見えた組織が突如壊滅したのか。
疑問は尽きないが最重要なのはこれからの対応。
すなわち正確な情報集収と、パイカルの逮捕。
その先兵として送り込まれたのがアメリアはじめ数人の捜査員。
アメリアが入国してまっ先に向かってきたのがこの店、「ペロー」だ。




人影まばらだった通りとは正反対に、
店内のフロアは人で埋められていた。
騒音に近い曲にあわせて頭をうち振る人々の間をすり抜ける。
鼻をつくのは酒の臭いと煙草の煙、そして・・
店の隅には虚ろな目をした少年たちがだらしなく口を開け座り込んでいる。
なにをしているかは推して知るべし。
アメリアは一瞬顔をしかめカウンターに向かった。

「リトローを」
数枚コインを放りバーテンダーに声をかける。
応対するのは顔中にピアスを通した若い男。
うさん臭そうにアメリアを見て問う。
「どんな酒か。知って頼んでるんだろうな。」
いやらしい笑いを浮かべる男に微笑みを返す。
「もちろんです。」
「特別な酒だ。」
「お金はあります。」
カウンターにすとんと腰掛けコインを数えるバーテンの返答を待つ。
「ふん。いきなりリトローたあ景気のいいことで。
 ただ、今はちょっと高いぞ?」
「キロで欲しいんです。用意できます?」
「あんだと?」
バーテンが目を丸くする。
リトローとは,最も値のはる薬物だ。
キロで買うならウン千万単位の取り引きになる。
自分のような小娘が出せる金額でないことは明白。
「カストロさんの頼みです。」
しゃあしゃあと隣国の組織の名を出し、
懐から1通の書簡を取り出す。
「シャルルさんにわたして下さい。」
用紙、捺印ともに本物。
ただその組織自体はこの国に入る直前、
アメリア自身が潰してきた。
「わ、わかりました。へへ、しょ、少々お待ちを・・。」
掌を返したように卑屈な態度になったバーテンは一杯の酒をだし、カウンター奥に消えた。

シャルル・ペロー。
パイカルの組織の外交面を請け負ういわゆる顔役の1人。
組織の現状についての情報がほとんどない今。
出来うる限りの情報を彼から得ること。
この芝居にかかればよし。
かからなかったとしても本人と接触さえ出来れば
自慢の体術に物を言わせ捕縛する
それが今日の目的だ。
ずいぶんと命知らずな策だが
アメリアはこの類いの無謀とも言える捜査をたびたび敢行し、
その全てで成功してきた自信があった。
何より、追い詰められたパイカルは国外への逃亡をはかるだろう。
その先手を打つには速さが肝要。
賭けにでる必要があった。

自然昂る気を鎮めようと目の前の液体を口に運ぶ。
と、気配を感じ目だけを横に動かす。
・・・見られてるなあ・・・
横に座る男がこちらを伺っている。
こういう場に入り込むと大抵絡んでくる男がいる。
今回もその類いかそれとも・・・

努めて気にしないふうを装いグラスを傾けた。
口元に笑みを浮かべ不躾にこちらを見ている男は
この場にはいささか不釣り合いな上質のスーツに身を固めている。
店内の暗さのせいでその顔はうかがえない。
が、目深にかぶった濃紺の帽子からのぞく銀の髪が
照明をはじき鈍く光っているのがやけに目をひいた。

「おまたせしました。」
さきほどのバーテンが声をかける。
「シャルル様が会われるそうです。
 奥の部屋にどうぞ。」
「わかりました。」
席を立ちかけ、
横で呑んでいた男に手首を捕まれ立ち止まる。
「・・・なんです?」
掴まれた手首から伝わる、異様な冷たさに身を竦ませた。
「カストロの頼みだって?」
顔に張り付いた笑顔のまま語りかける男の声。
すっと血の気が引くのが分かった。
・・・ばれてる?・・・
動揺を押さえ込んで、
「あなたには関係ありません。」
言い放って手を降りほどく。
「ま、そりゃそうだが・・」
男は肩を竦め、アメリアの顔を覗き込んできた。
じっと見つめてくる男の瞳。
暫しアメリアは動けなかった。

その深さ。
職業柄、彼女は他人の瞳から多くを読み取る勘が冴えている。
どんな狡猾な人間でも瞳は嘘をつけない。
どう覆い隠そうとしてもその虚実が現れ、揺れるのが瞳だ。
多くの人間の瞳を見てきた彼女だったがこの瞳をどう分類したものか。
迷い、そして惹かれた。
冷たい色を帯びる瞳の奥で揺れるなにかに。

射すくめられたように動けなくなったアメリアに
「あの・・・そろそろ・・。」
遠慮がちにバーテンダーが声をかける。
「し、失礼します。」
はじかれたように踵を返したアメリアを見送った男はカウンターに向き直り。
「ま・・いい餌、か。」
呟いてもう一度酒をあおり、席をたった。

「あの、さっきの男の方は?」
前を行くバーテンに問う。
「さあ、見ない顔ですけど?」
答えるバーテンの表情から嘘は読み取れない。
気にはなるが、今はこちらに集中しなくてはならなかった。

バーテンに従い、何度か扉を抜けた先。
一際厚みのありそうな扉の前で立ち止まったバーテンがアメリアを奥に促す。
重い扉を開くと、フロアよりさらに照明の落とされた部屋。

扉が閉じられると同時にフロアの騒音も遠ざかった。
円形の部屋は天窓からの月光と、わずかなダウンライトで照らされている。
部屋にいるのは十数人。
素早く彼等の装備を見て取って正面の椅子に腰掛けた男に微笑みを向ける。

「初めまして。シャルルさん。」
ふくよかに脂肪を貯えた身体と禿げ上がった頭。
一見して樽を思わせる男が口を開いた。
「初めまして、お嬢さん。早速だが・・・」
言いながらシャルルが右手を挙げた瞬間、
ガシャ
音をたてて横に控えていた男たちが銃を構えた。

「いきなり、御挨拶ですね・・・」
笑顔はそのままに軽口をたたく。
「カストロんとこもつぶされちまったって話だ。
 知らねえとでも思ったか」
シャルルが先程の書簡を揺らして笑う。
「こんなふざけたもん持って来やがって
 ・・・あんた何もんだ・・・」
眼光鋭くアメリアを睨む。
しかし対するアメリアも余裕の態度を崩さない。
「えへへ・・・ばればれでした?」
舌を出して言葉を返す。
「ほんと、なめてくれるなあ・・
 状況わかってんのか?質問に答えろ!」
ドンと机を叩きシャルルが怒鳴る。
ひょいと肩を竦めアメリアが答える。
「ICPOです。ここの組織が壊滅したって聞いて調査にきたんですけど。」
しゃあしゃあと言い放つアメリアに、逆にシャルルが鼻白む。
が、すぐにその顔が歪んだ笑いに変わる。
「ICPOだと・・・それがホントなら・・・。」
この時期にこの獲物はでかい。
逃げるにしろ、この地で挽回を期すにしろ、いい人質になる。
そんな思惑を知ってか知らずか目の前の少女は朗らかに問うてくる。
「なんでそうなったのかと・・パイカルさんの居所。教えてくれません?」
さすがに気味が悪い。この状況でこの落ち着き。
そしてこの年齢。いやがおうにも先日の記憶が蘇る。
背筋に薄ら寒いものを感じてシャルルは口を開いた。
「捕らえろ・・・」
この少女が何であるにしても。捕らえてからでも話しはできる。
しかし、周囲の男が動く前に、
にこりと笑ったアメリアの姿が一瞬ぶれ、
次の瞬間シャルルのこめかみに銃口を突き付けていた。

神速の体術。
これこそがアメリアの自信のもとであり、
彼女をICPO第一線に押し上げたものだ。

むけられた銃口に、シャルルの顔が引きつる。
「う、撃つなよ・・・」
「なめてたのは、お互い様でしたね。」
やはり笑顔のまま、アメリアは身体を入れ替えシャルルの後ろに回る。
この部屋にいる全員が一望できる位置。
「ここの組織も壊滅したって聞きましたけど?」
そして先程の問いを繰り返す。
「ル、ルパン三世だ・・・」
シャルルが声を絞り出す。
「あいつらにやられた・・・」
・・・ルパン三世・・・
アメリアも聞いた事はある。
かの名高きルパンの名を継ぐ怪盗。
世界中の警察が血眼になって彼を追うが未だに捕まった事はない。
狙った獲物は必ず奪う、神出鬼没の大泥棒。
世間に流れているのはそんな噂。
何よりアメリアの父、フィリオネルが長年追い続けてきた仇敵と呼ぶべき存在だ。

「・・・なんでルパンなんかと事をかまえたんです。」
「知るか!おれたちの方が聞きてえよ・・」
・・・ふむ・・・
嘘は言っていないようだが・・・
と、今更ながらアメリアは自分に向けられたままの多数の銃口に目を向けた。
「銃をおろして下さい。」
シャルルに更に銃を押し付けながら言う、が。
誰一人従う様子はない。

こう言った組織は立場が上の物が絶対視される。
それは大きな組織になればなるほど顕著なはずだ。
訝しんでアメリアはシャルルに声をかける。

「シャルルさん?止めなくてていいんですか?
 あなたも死んじゃいますよ?」
ここで銃撃が始まれば間違いなく巻き込まれるはず
しかしシャルルは震えるだけで声を発することもできずにいる。
すがるような視線の先を辿ると・・・アメリアから最も遠いところに細身の男。

・・・おかしい・・?

刹那、アメリアはシャルルを突き飛ばし身を翻す。
「撃て。」
細身の男の号令一下銃弾が一気に浴びせられれ、
シャルル、だと思っていた男は血煙の中に倒れた。

「いったあ・・・」
肩を押さえアメリアが呻く。
かろうじて致命傷はさけたものの1発。
肩口を貫通していた。

「・・・子娘1人に、用心深いんですね・・・」
言って唇をかみ細身の男を睨む。
そう、恐らくこいつが・・・
「シャルルさん。」


「先日痛い目にあってるんでね。
 しかし・・ICPOがハイエナの真似事たあ感心しないね。」
相手は余裕綽々。
あっさりと影武者なんぞにひっかかった自らの迂闊さ、
慢心を思い知らされて唇をかんだ。
「人の弱味に付け込んで甘い汁だけ吸おうなんてな。
 まるで俺たちの手口じゃないか。」
言いながら近づいたシャルルに腹を蹴り上げられ床に転がる。
「地下に放りこんどけ。」
アメリアに背を向けシャルルが言い放つ。
「あなた達みたいな下衆と一緒にしないで下さい・・。
 正義は必ず勝つんですから・・。」
床にしこたま打ちつけ、血の味の広がる口で精一杯の虚勢。
しかしそれは彼の機嫌をいたく損ねたようだ。
無言で振り返った彼はアメリアの顔を踏みにじる。
「・・・人質ってのは別に生かしておく必要もないんだが・・・」
言葉を受けて近くの男が銃口を向ける。
目の前に迫る銃口にさすがのアメリアも身を固くした。

と、銃声とともに天窓のガラスが四散する。
銃声は止む事なく、響く度に室内の男が倒れていった。
数瞬の後、立っているのはシャルル一人。
室内は、むせ返るような血の臭いで満ちた。
「やっと顔を見せてくれたか・・・」
場違いなほど明るい声が響き、
ゆらりと出てきたのは細身のスーツに銀の髪。
さっきの男だ。
「なあ・・シャルル・ペロー」
どこか嬉しそうに、親友を迎えるように両の手を開き語りかける。
しかしまき散らしているのは、明確な殺意・・・。

「お、おまえまさか・・」
唖然としていたシャルルが慌てて懐から銃を取り出す・・が
構える間もなくはじき落とされた。
「ひいっ・・・」
身を翻したシャルルの足が打ち抜かれ無様に床に転がる。
男は一挙に間合いをつめシャルルの腹を踏みつけ、
突き付けた銃の撃鉄を起こした。

「お前に五秒やる。答えなければ殺す。」
顔に浮かべた笑顔と口調があまりにも楽しげで。
百戦錬磨のシャルルですら目に脅えが浮かぶ。
「パイカルはどこだ。」
「し、しらね・・」
ドウン
無言で放った男の銃弾がシャルルの掌を打ち抜く。
「〜〜〜〜〜!!」
声にならない悲鳴を上げシャルルがのたうつ。
「言い忘れたが、答えられなくても・・・」
「ま、待て、五秒待つって・・」
ドウン
「殺す。」
ニ発目はシャルルの股の間。
「知らない!ほんとに!ゆ、許して・・」
ドウン
銃弾がシャルルの頬を掠める。
「あの混乱で見失って・・・俺らも探してるんだ・・嘘じゃない・・」
涙目になってシャルルが訴える。
嘘ではないと見て取ったか男が軽く溜め息をつく。
「心当たりは・・・」
「はい!・・た、多分宰相のところに・・
 あそこに行かれたら俺らじゃコンタクトとれなくて・・」
希望を見たか、シャルルが矢継ぎ早に言葉をつなぐ。
「他の場所は大抵あたった。今パイカル様が行くところと言ったら・・」
鷹揚に男は頷き
「わかった・・ごくろうさん。」
四たび撃鉄を起こす。
照準はシャルルの額に。
「ま、待って下さい!殺しちゃ駄目です!」
突然の事態に固まっていたアメリアがやっと声を上げたのはその時だった。

銃口はそのままに。男がうっとおしそうな顔でこちらを向く。
「私こう見えてもICPOの警部なんです。
 この人は私が責任もって逮捕しますから・・。」
ふらふらと立ち上がりながら身分証を開く。
「ふうん・・」
訝しげに男はアメリアを見つめ。
「あんたまさかとは思うが・・・」
いいかけたその時、ふらついたアメリアが片膝をついた。
肩から流れ出る血が身体をつたって床に落ちる。
「お、おい」

崩れ落ちるアメリアを、男が駆け寄って抱きとめる。
手の中で気を失っているのを見てとり男は溜め息を一つ。
「・・・しょうがねえな・・」
呟きながらアメリアの手からこぼれた証明書に視線を送る。
「アメリア・ウィル・テスラ・・・・セイルーン?」
名前を読み上げる男の頬にひとすじの汗がつたう。
「・・やはりと言うべきか・・・」
もう一度アメリアの顔を眺め、
「しかし・・・似てない・・・」
呟きながらアメリアを抱き上げると、
逃げようと床を這いずるシャルルの鳩尾に無言でケリを入れる。
失神したのを確認し、男はその場をあとにした。

アメリアを抱いたまま。





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